歴史

洛西ニュータウンの歴史


1960年代、京都市の住宅難の解消に向けて、ニュータウンの造成計画がなされました。​
いくつかの候補地の中から、交通面、また丘陵地という地形から、比較的、都市開発の波から免れていた ここ大枝・大原野地区もニュータウンの計画地の1つとして選ばれました。
段階的に事業は進められ、1983年、新林・福西・竹の里、そして我が境谷の4つの住区を擁する、人口4万人の街として全体が完成しました。

 









 

 






造成がほぼ終わり新林地区の入居が始まった頃、第2住宅や近隣の3つの学校も更地のままです。(撮影1978/5/28)
 
 













 
第1期の分譲開始から約1年半経った頃 第2期部分(1〜11棟)は工事中であり分譲はされていません。団地内外の樹木がまだ若くて小さいのがわかります。
(撮影1982/10/27)

  

 

 

 

 

 

 

 

 

住宅やショッピングセンターがほぼ出来た頃 第1期の分譲開始から約4年経った頃です。(撮影1985/4/26)

2度目大規模修繕を終えて間もない頃々の成長が著しく団地の緑が多いことが見て取れます。(撮影2008/05/06)
    ※国土地理院の航空写真より加工

境谷西第2住宅の歴史
 

境谷住区に建てられた、境谷西第2住宅は、当時の住宅都市整備公団から分譲された、26棟・610戸からなる団地です。全て5階建て・エレベーター無しのタイプ。
 

地域住民からは「第2住宅」と呼ばれています。
1981年に第1期、1983年に第2期として分譲が行われました。​​これに先立ち1980年に3棟からなる「境谷西第1住宅」が分譲されています。

団地北側.JPG